2026-02-15 / ESSAY

アルゴリズムのはずれに

昨日までのプラクティスが今日にはもう塗り替えられている。そんな速度で進むAIの動向を眺めながら、置き変わらないものとはどんな事だろう?とぼんやり考える事は増えた気がする。

答えは特に見つからないけれど、折よく耳にした話が興味深かったので少し記しておきたい。


先日、元鼓童(和太鼓グループ)の友人と演奏者として、タントラのセッションに参加した家の人の話を聞いた。

そこで体験したのは女性的なオーガズムのような感覚だったそうだ。
それは性的なものではなくエネルギーの循環、解放で、一線を超える体験だったと、言葉を探しながら話す姿から深く感動していたのが伝わってきた。

演奏者としても、集団セッションとしてもタントラのワークに参加したという。
私もブレスワークやこうしたセッションには参加してきて言わんとする感覚は想像できる。
だけど男性側からの、きわめて純粋なタントラの体験談はあまり耳にする機会がなく新鮮だった。

参加者の多くは大抵、ほとんど女性なのが印象的だ。
性別で括るのは本質ではないかもしれないが、このような純粋体験をする男性がもっと増えたなら、男性社会と云われる潮流に、何か変容をもたらす可能性を感じたりもする。

一方で懸念として、こうしたセッションはスピリチュアルを語り、内容にそぐわぬ高額なものや情報商材のようなものが多く、その流れは強まるばかり。
本来、スピリットを感じる人との縁は、関係性の中で緩やかに、あるいは共時的に繋がっていくように思える。

音楽もまた原始的な役割のような、元のかたちに立ち返っていく流れを感じていたりする

古代から続く儀式音楽や、シャーマニズムなどの土着的な文化と音楽は分かちがたく結びついている。
(この辺りは蜷川立先生の”彼岸の時間”にユタとノロやアヤワスカなど国内外のシャーマニズムと意識の変容の人類学に詳しい)

今回はタントラ、笛、和太鼓という構成で、
波動、呼吸のリズムとその場のフローが調和し
身体へ、神経へ、心へ、と共鳴していく、、
音楽は意識の変容へ導くガイドなのだと思う。

AIが高度に音響設計をできるようになったとしても、現実に即したあらゆる要素までも再現するのは難しいだろう。
それに音そのもの、誰と、どの文脈で、どのタイミングで…
という側面に重きが置かれていくような気もする

だけど、もしも映画マトリックスのように体験を完全にインストールできる未来があるとしたら…?
何を選び、どう感じるのだろう

技術の進歩が加速するほどに、
私たちは生身の内的な感覚を取り戻し、洗練させていくことになるのかもしれない。